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夏休みの自由研究の意味とは?評価の観点や必要性について

夏休み

自分のお子さんの自由研究を見に行ったら、どう見ても親御さんが手伝ったような作品がコンテストで上位になっている・・・というのを見て、腹が立つやら報われない気持ちになるやら複雑な気持ちになる親御さんが増えているようです。
親が手伝ったのが評価が高いなら自由研究なんて必要あるの?
なんでこんなものをやらせるのだろうか・・・。
先生たちは一体何を見て評価をしているの?
中高生のようにテストで点数で明確に出るものではないからどうにも判断しにくい自由研究。
その意味や必要性についてまとめてみました。

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夏休みの自由研究には意味がある?

小学生の自由研究に意味があるかないかというのは、どちらかというと意味が作り出せた子とそうではなかった子に分かれます
これはその子自身が考え、主体的になって本当にやりたい!と思ったかどうかという点が重要なのです。

自由研究がその後の人生に何か役に立ったか?という質問は、たいていの場合には「そんなことはなかった」と答える人が多いかと思います。
しかしそれは「小学生の時の自由研究の延長線上に今の生活がなかった」というだけで、中には自由研究で調べたことを中学高校でずっと発展させていき、それを研究するために大学に進んで研究者になった人もいます。

よく中高生で「こんな数学(微分積分とか)がなんの役に立つんですか?」と聞く生徒さんがいます。
それに対する私の知り合いで元高校の教員の方の返事は「役に立たないと思って勉強しなかったら、それを使わない職業に就くだけよ」ということ。
それと自由研究は同じようなもの。
もし自由研究のようなことが大好きなお子さんは、小学生のうちから自分で考えて実験や観察をして、その経験を糧に将来科学者になるのかもしれません

逆に、得手不得手の問題で自由研究がうまくまとまらないお子さんもいると思います。
でもそれは、足が速い子とそうではない子、本を読むのが好きな子とそうではない子と同じことです。
その子にとって一般的な自由研究の課題になるようなことはあんまり得意ではなかった、ただそれだけの事として頑張ってやる姿勢だけは認めてあげればいいのだと思います。


ただしどんなに苦手であっても、あるいはいい評価が欲しいからと言って、親御さんがすべてやってしまったのでは意味がありません
それでは意義がある自由研究ではなくなってしまいます。
途中で親御さんの協力がもしかしたら必要になるかもしれませんが、あくまで本人が「なぜ?どうして?」と感じた事に取り組む。
これが有意義な自由研究にする第一歩です。

自由研究の評価の観点とは?

極論を言えばですが、どのように評価されようともその子にとって意義がある研究テーマで納得がいくまで調べつくすことができれば、評価などというものはどうでもいいものです。
他人に評価されなくったって、自分を信じてずっと研究をして大成した研究者がその後ノーベル賞を受賞したりしています。

ただまぁやっぱり親の身としては、小学校の先生方がどんな観点で子供たちの自由研究を評価しているのかは知りたいところだと思います。
学校や先生の方針や、絶対評価や相対評価の違いなどでズレはあると思いますが、一般的な自由研究の評価のポイントをいくつかまとめてみました。

①テーマが一貫しているかどうか
②丁寧にまとめているか
③その子のこだわりがあるかどうか
④作業の量

①テーマが一貫しているかどうか
これは大学や企業での研究やプレゼンテーションでも同じことが言えるので、企業にお勤めしたりしているお父さんお母さんは想像しやすいかと思います。
要は、最初に疑問に思ったきっかけから、最後のまとめまで流れがしっかりできているか?という点です。
例えば「猫の一日の寝る時間を調べたい」ときっかけで書いたのに、最後のまとめで「犬は毎日散歩に1時間行っていました」ではズレが生じていますよね。
このようなことがない、テーマの一貫性というものがまずポイントの一つとして挙げられます。

②丁寧にまとめているか
絵やグラフを使って見やすくまとめたりできているかどうか、という点です。
これは「どうしたら他の人が分かりやすいと感じられるか?」という他人からの目線を気にしているポイントです。
もし日ごろから企業でプレゼンをしている場合には、お子さんに見やすい色の使い方や字の大きさなど教えてあげるのもいいかもしれませんね。

③その子のこだわりがあるかどうか
前述したとおり、お子さんごとに得手不得手があるのと同じで、お子さんには一人一人のこだわりというものがあります。
虫が好きな子に無理やり星座のことをやらせても、本人は納得していないのでどんなに頑張らせてもいいものができるとは考えられません。
その子が「昆虫について調べたい」と言い出したのならば、好きなだけ昆虫採集させてあげてみてください。
それがその子にとっての最大のこだわりであり、そしてユニークなアドバンテージになります。

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④作業の量
この項目だけ唯一、小学校的で特殊なポイントです。
一般的に大学や企業では「どれぐらいスマートな手法でお金と時間をかけずに解決するか」というのが評価されます。
しかし小学校の場合にはこれが評価の対象にならない場合が非常に多いのです。
例えば、さいころの出る目の確率を求める研究としたときに、パパッと計算で出してしまうのは評価が低く、実際に何千回も転がして数えた方が「頑張っている」と評価されてしまう可能性があるのです。
これは自由研究自体が将来的にやるかもしれない研究という分野への練習という性質を持っているため、評価されているのではないかと考えられます。


おおざっぱにこのような評価のポイントをあげてみましたが、これはあくまで一般的な考え方の一部分でしかありません。
先生によっては違う観点で見る方もいるかもしれません。
特に小学校の先生は、専門以外すべての教科を担当するのが普通です。
そうなると国語や音楽が専門なので理科や社会のことは教科書内のことは分かっていても、それ以上のこととなるとよくわからないという先生がかなりいらっしゃいます。

そのため、理科的視点でどんなに面白い研究をやっていてもそれを理解する土台がなければ評価されることなくスルーされてしまう場合もあります。
逆に、単純にきれいにまとまっているなどという観点から、親御さんがめちゃくちゃ手伝った作品が優秀賞に選ばれたりしてしまう場合も少なからずあるでしょう。
実際に私は、小学校六年生のときに自由研究の計画書を国語が専門の担任の先生に提出したら、ほとんど目を通さずに「○○先生(生物が専門)のところへ店に行って。私にはわからないから」と言って突っ返された経験があります。

いろいろな先生がいらっしゃるので一概には「こうすれば絶対に賞がもらえる!」とかそういう評価のコツはありません。
ただ、評価されようがされまいが、本気でお子さんがやりたいこと、不思議に思っていることを夏休みの長期に調べることができるのなら、それだけで十分な価値があるのではないかと私は考えています。

自由研究の必要性を考えてみる

さて、ここまでくるとやっぱり考えてしまうのは、自由研究って本当に必要なの?どうなんだろうか、という点です。
これについては賛否両論あって当然だといえましょう。

理科や社会のテーマが多く扱われる自由研究では、やっぱり理科社会が苦手な子にとっては苦痛でしかないと思います。
そうなると保護者の方が手を貸す形となり、それがエスカレートしていくと名前を書くのだけが本人であとはすべて親の仕事、なんて作品も出てきてしまうわけです。
中にはネットで販売されている自由研究を買ってそのまま提出させる場合も。

こういう状態が横行している、あるいはそういうことをしようとしている場合には自由研究は全く必要がないでしょう。
そんなことをしてもお子さんは何も学ぶものがありませんし、逆にズルを覚えるだけですから。

一方で、本当に何か気になって調べてみたいと考えている場合には、日ごろの学校の授業ではできないようなことができるので本当に有意義な自由研究となります。
日本の教育は全員一様に教えていくのがスタンダードなので、そこからはみ出して違うことを学ぼうとする機会があまりありません。
それを自由にやっていいよ~!と言われるというのは、なかなか素晴らしい体験ができるといものです。

こう考えていくと、その必要性というのは将来お子さんが大きくなってから「自由研究やってよかった!」と思えるか、あるいは「自由研究は本当につまらなかった」と感じるか、という点に影響していくと考えられます。
そしてその差というのは、お子さん自身の得手不得手もありますし、どれだけ楽しく自分の考えを掘り下げて研究できたかという点に帰着していくのです。

そのため、もし現時点で「こんな自由研究やって意味あるのか?」と親のあなたが考えているのであれば、お子さんが将来「やってよかった」と思えるようにサポートしていくか、あるいは「別にやる意味なかった」と思ってほしいのか、あなたがお子さんにどちらになってほしいのか、という分岐点にいるということなのです。

あなたは自分のお子さんにどう感じてどんな風に育ってほしいですか?
将来「自由研究が楽しかった、もっと勉強してみたい」と言ってほしいですか?
それとも「自由研究はそんなに面白くなかった、○○の方が楽しいからそれについて勉強してみたい」と言ってほしいですか?
どっちであってもその子の個性なので、必要性などというものを深く考えることはしなくても、存外構わないのかもしれません。

小学生の自由研究の意義や必要性を親の観点から考えると?

●親が全部やってしまう自由研究には意味がない
●しかし子供が主体になって進めていく自由研究には大いに意味があり、将来その経験を元に勉学に励んでいく可能性となりうる
●評価されるポイントはいくつかあるが、それは小学校の先生の得手不得手にもよる
●評価されなくても本人が納得してやったものであれば、十分に意味はあるので親のあなたが受け止めてあげればよいのでは
●必要性については賛否両論あるが、将来的にやってよかったと感じるか、あるいはやらなくてもよかったと感じるかは、本人の資質や満足度によるところが大きい

このような自由研究の必要性などについて調べている親御さんは、自分の自由研究をやった経験や子供のお友達の作品を見て不条理な部分に疑問をお持ちになったのだと思います。
ただ、小学校での評価は中高生とは違って点数化しにくい部分が大きいものでもあります。
お受験などのために内申点が高いほうがいいという親御さんもいらっしゃるかもしれません。
しかしそれよ何よりも、お子さんがやりたいことを伸び伸びとやって、それを誰でもない親であるあなたに認めてもらうというのは子供にとっては何よりもうれしいことのはずです。
あまり難しいことは考えずに、お子さんのやりたいようにやらせてあげて、それをサポートしてあげるのをおススメします。

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